きのふぃーのネットビジネス情報ブログ

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【人生】離婚・親権・裁判 国に引き裂かれる父子① ~ 愛を結ぶ ~

きのふぃーです。

 

「パパーーーーーー」

泣き叫ぶ6歳の娘の声

 

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きのふぃーが最後に聞いた娘の言葉です。

 


きのふぃーはバツイチ独身。

 


現在派遣で工場に務めながらネットビジネスを勉強中。

今現在に至るまで、転落と言える5年間でした。(現在進行形)

 


きのふぃーは当時、大手パチンコ企業で店長をしてました。

その後営業本部マーケティング部で課長職。

当時5歳の娘と二人暮し。

(親姉妹は近所に暮らしており支援を受けていました。)

 


2014年…4月21日

娘の誕生日の事でした。

 


娘の誕生日でしたので仕事を休暇にして、プレゼントで買ってあげた自転車を公園に持っていき熱血指導。

その夜は家族で(きのふぃー、嫁、娘)寿司屋さんで夕食。

その後家に帰りケーキでHappybirthday!!!

 


とても幸せで楽しい1日…だったはず…

 


子供が寝すまり、嫁と二人きり。

 


嫁から「話しがあるんだけど…」

そー切り出されました。

 


 


嫁:「離婚してほしいんだけど…」

 


 


きのふぃーはなにが何だか。

その時の心境はどうだったか…

冗談だと思った気がします。

 


理由を聞いてみると

きのふぃーの転勤が理由だと答えた。

実家を離れてやっていく自信がないと。

嫁はかなりのフォミリーコンプレックス

だった。

 


きのふぃーは長く説得したが、嫁は聞く耳もたず、いずれ怒りだしたのだ

 


嫁:「あなたは仕事仕事で家にあまり居ない。

休みの日は寝ている。

育児でストレスがたまり太ったのもあなたのせい…転勤が決まった瞬間から決心してるの

 


きのふぃーは未だにその理由に理解ができない。

今思えば男でもいたのかと思う。

 


仕事で家に居ないのは当たり前の話しだし、

休みの日は長く寝てはいたが必ず家族で

外出をしていた。

まったく言われる筋合いのない事だった。

 


4月30日には実家に帰ると宣言された。

 


翌日4月22日きのふぃーは朝から仕事に行き、社長の息子である部長に電話で事情を話し

転勤の取り下げを願い出た

仕事はまったく身に入らず、

いつもなら遅く残る所だったが、

夕方には帰宅した。

 


家に帰ると

「パパーっ」

と駆け寄る娘。

「パパ早いなぁっ

と嬉しそう。

ギュッと抱きしめたのを鮮明に覚えている。

 


嫁はおかえりの言葉もなくテレビをみていた。

 


きのふぃーは娘とお風呂に入った。

すると娘はこーいった。

娘「今日で幼稚園さよならしてきたん。

今度からはおばぁちゃんの家の近く所いくんてー

 


きのふぃーは

そーなんかぁーちゃんとサヨナラできた?

さみしくないの?

と問いかけた。

 


娘はさみしいと泣き出した。

 


嫁は外から聞いていたのか、風呂を出るやいなや。

嫁:「なんでさみしい?とか聞くの?

娘がかわいそーやろ?」

ときのふぃーに言う。

声は小さくありながら怒りに満ちていた。

 


その晩、なんのタイミングか

娘は咳をし始め高熱を出し始めたのだ。

きのふぃーは深夜だったが、

救急で病院に連れていくと嫁に言った。

 


すると嫁は

大丈夫。風邪やろうから明日連れていくから」とその晩は病院に連れて行くことを拒否した。

 


そして翌日、きのふぃーは朝から仕事に行き、部下である副店長と事務長に事情を話し、

少しの間早番で夕方は帰宅する、

夜の再出勤もしないのでとお願いした。

 


そして帰宅すると…

誰もいない。

まさかもう出て行ったのか…

娘を病院につれていったのか…

嫁に連絡をすると実家(実家は自宅から1時間ほどの場所にある)に行っているらしい。

親に事情を言いに行ってたのだろう。

娘は病院に連れて行っていない。

 


そして夜21時に帰ってきた。

 


娘の熱を測ると38.5℃

ぐったりしている。

 


嫁に聞くまでもない。

きのふぃーは

緊急で市民病院に連れていったのだ。

 


診断結果は肺炎

 


きのふぃーは自分を恨んだ。

何故に昨日連れてこなかったのか。

嫁の判断に歯向かう事ができず、

情けなく娘へ申し訳なかった。

 


そして娘は入院。

嫁に連絡をし、その日は嫁が付き添う事となった。

嫁の反応は言いたくないが…

泣いていた。

きのふぃーは自分をも責めたが。

本心、嫁に怒りを感じていた

泣く意味がわからない。

今思えばクソ女にクソ母親だ。

 


退院は4月30日

2日間はきのふぃーも有給をとって付き添いで病院にとまった。

 


娘が退院して、すぐには負担がかかる為に

実家に帰るのは5月5日となった。

 


その間にも何度も嫁を説得したが返ってくるのは怒りの言葉ばかりだった。

 


そして5月4日

最後の日だった。

きのふぃーと娘は一緒にお風呂にはいった。

 


娘は言う。

「明日からおばぁちゃんのお家やなぁ。

パパもお仕事変わるの?」

 

 

娘はきのふぃーも一緒に行くと思っていたみたいだ。

 


きのふぃーはそれが正しかったのかは分からないが、娘は嫁といる時間が多いながらも、

かなりのパパっ子だ。

パパが行かないなら行かないと言い出すだろうと…

真実を娘に言った。

パパはいかないんよ。

パパはお仕事あるからね、行かないの。

 


すると案の定だ。

娘は泣き出した。

大泣きも大泣き。

「いややぁーさみしい。いややぁ」

 


きのふぃーはこれはまずい(嫁がまた怒る)と娘をあやした。

「でも休みの日は会えるよ。

ここにお泊まりもきたらいいし」

娘はうん。と答え、しくしく泣きやみ始めた。

 


風呂を出るや嫁に娘は言う。

パパいかないんやってと。

そしてまた泣き始めた。

きのふぃーを睨む嫁。

そんな娘を見ながらも、怒りをきのふぃーに向けるだけの嫁でした。

 


翌日、お昼前に嫁と娘は出ていった。

きのふぃーは休みをとり二人を見送った。

 


家に戻ると、衣類以外はそのままなのだ。

でも嫁も娘もいない。

 


泣き崩れた

もうこの時からだ。

嫁への愛情は既になかった。

ただただ娘との離れが寂しく

心配であった!

 


きのふぃーは当時の記憶はあまりない

とにかく毎日寝れず食えず。

仕事は行くが身に入らなかったのを覚えている。

 


なんとか週末には娘に会えるように嫁と交渉して会えた。

これを裁判所用語?ではこれを

面会交流と言うらしい。

父親なのに自由に会えないのだ。

嫁の加減で会える時間、会える日が決められるのである。

 


2度3度週末に会ったかな…

 


5月27日!

 

時はきた。

 

 

きのふぃの誕生日だ。

この日はなんと娘が泊まり。

きのふぃーと二人きりだ!

娘は

ケーキを手作りで作って持ってきてくれた。

嫁の情けか、娘の希望で手伝い作ってくれたようだ。

 


家に来るなり嫁はとっとと帰っていった。

すぐさま娘が

パパ誕生日おめでとーとケーキを開けてHappybirthday!!!

 


きのふぃーは大泣きしてしまった。

「ありがとう…パパ嬉しくて泣けてきちゃった」

 


娘はきのふぃーの頭をなでていた。

 


そして、それから公園に遊びに行き、

夜は娘の好きな寿司を食べに行った。

 


帰って借りてきたクレヨンしんちゃんのDVDをみた。

 


二人きりで床についた…

 


その時である。

娘が言い出した。

 


娘:「パパ?」

 


き:「ん?」

 


娘:「ばぁばのお家嫌だ…」

 


き:「なんで?」

 


娘:「パパがいい」

 


き:「…うん…」

 


娘:「ママバチンしてくるから」

 


…きのふぃーの心配してた部分だ。

 


嫁は過度に体罰を行う。体罰ママなのです。

 


ヒステリックにわめき!

平手で頬をも殴る!

娘をである。

 


行為を行ったあとは何故か落ち着かせる為か

ベッドに行き、スマホでゲームをはじめる。

泣きわめく娘は放置だ。

きのふぃー何度も泣きわめく娘をあやしたのを鮮明に覚えている。

 


娘の言葉にきのふぃーは間髪いれず決心した。

仕事を辞めよう。

朝1番で娘を連れて、

実家に行こうと。

 


きのふぃー達が住んでいたのは

和歌山県(転勤の都合)だ。

実家は三重県

 


勿論娘には言った。

 


き:「パパと一緒に住む?」

 

娘の答えは...

 


「えーーっやったぁーー!」

だった。

 


そして二人は翌日

5月28日

朝から衣類を詰め込み、実家の三重県に向かったのである。

これが後に裁判で連れされりと言う行為であった。

 

この日から10ヶ月…

娘との二人暮らしと嫁との闘いが始まるのでした。

 

次回につづく…

 

※これはきのふぃーの体験したこれまでの人生で1番辛い過去であり現在でもあります。

ネットビジネスを始めるに至り、ブログに出会い、少数でもいい!理解者が欲しいのかも分からない。

辛い経験でもあり、辛すぎて当時の事は夢のような記憶になっている。

書くにもフラッシュバックが起き病んでいきそうだが、書くことにした。

バカな父親の経験をどうぞお読み下さい。

ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。

 

ネットビジネスで生活する事を夢みる男のブログ! 元スロット設定師から大手企業マーケティング部の課長! その後、キャバクラオーナーとなり現在派遣工場勤務に転落。 転落人生からの復活を果たすためにネットビジネス界に参入した! きのふぃーの運命や如何に...